ようこそ、かたせうみの妄想最果ての地へ。
今日は、『もしも、義務教育がなくなったら。』という妄想をお送りしたいと思います。
こういう話題を書くと、「行きたくてもいけない人がいる」とか、「学校教育に縛られる事は弊害でしかない」的な反論がでそうですが、今日はそういう記事ではありません。
この辺は根が深いのですが、学校へ行かない自由もあるでしょう。
ただ、識字率の高さというのは、明らかに義務教育の賜物です。
字が読めない世界、想像した事ありますか??
自ら学校へ行かないことを選択した人は、誰かに教えてもらうとか、独学で頑張るという結論となります。
独学で出来るようになる人はニュースで取り上げられたりもするので、頑張ればなんとかなるんだからと思う人もいるかもしれません。
でもね、自らが動かなければ学べない環境、その状態で進める人は稀なんです。
また、よっぽど恵まれた環境でなければ、学ぶ機会というのは失われていきます。
学校へ行かなければ、勉強を教えてあげるのは親の仕事??
そんな時間・・、ありますか?
さて、学ぶ機会のなくなった人の行く先は・・・???
今日の記事は、あくまでも学問教育についての記事です。
学校では、「勉強以外の大事なことこそ学ぶもの」という事もありますが、そこを言うと、この記事終らなくなっちゃうので、
野暮なことは言いっこなしよ。
はいはい、妄想の世界なんですから。
それじゃ、もしもボックスに電話してみよう。
さてここで、今の日本で義務教育が廃止されるわけないという大前提は、ブラックホールへ。
教育を受ける権利も義務も、なしなしなし。
まぁ、先進国で義務教育なくすとかありえないですけどね。
では、考えてみよう。
Imagine all the people ・・、あ、これ違うね。
Let’s think!
う~ん、これは、もう古いね・・・。
義務教育がなくなると、教育は有償に・・小学校から有償化?
高校無償やら、大学一部無償の流れに逆らいますが、義務教育が義務でなくなると、まず一番に考えられるのは、教育の有償化です。
実は今だって給食費や修学旅行費を払っているので、完全無償ではありませんが、一応義務教育なので、授業料や教科書代は無償です。
所が、これが義務でなくなれば、別に無償でなくてもよくなりますよね。
授業料やプリント代、教科書代や教師の給与を、生徒の利用料金から賄う事になります。
しまいには、経営が学校法人でなくて、株式会社経営になったりして。
利潤追求・・。
教育の自由化という名目で、色々な形の学校教育が乱立しそうです。
学校に行かない・行かせない自由もありますが、齢6才くらいの子を家に置いて、さすがに親は働きに出られない。
ので、たとえ義務でなくなっても、子が小さいうちは、親は保育所代わりにもなる学校へ行かせるという選択をとるのが現状としては有望です。
子供を預けるのが目的ならば、教育を受けられる機関は上級国民の預け先であり、放任主義な預かり所は安くなるというのは必然でしょう。
この時点で既に、教育の格差が出始めます。
でも、学校が義務でなくなれば、子供の就労も解禁されるかもしれません。
さぁさぁ、どうする?
学校行かせないで丁稚奉公させる?
でも、一応現代社会の流れの一つとして、ごく一般的な家庭なら、一人でお留守番できそうな年齢位までは、有償でもどこかの学校へ行かせるという選択肢が有力でしょうか。
とすると、家庭の金銭的負担を減らすため、卒業が早い学校が出来るかもしれませんね。
なんてったって、有償ですから。
早期卒業短期小学校?何歳で卒業するのが望ましいのか?
有償化となった学校。
学校へ行かず、働く子供も増えるかもしれませんが、ひとまずここは、読み書き位はできないとという事で、短期小学校へ通わすことにした両親。
家庭の経済的負担軽減のため、一体何歳くらいで学校を卒業させればうまくいくんでしょう??
マサラタウン(ポケモンの主人公のふるさと)では10歳で子供が旅に出るし、TV版星野哲郎(銀河鉄道999の主人公)は10歳で999に乗ったので、10歳あたりが妥当か?
10才卒業の学校となると、どの辺まで勉強ができるかというと・・・?
今でいう小学4年生くらいだから、ひらがな・カタカナ・漢字初級。
足し算引き算割り算は、大丈夫そうですね。
10才卒業説、有力。
戦国時代なら、それから4年くらいで元服して大人だから、ちょっとは信憑性あるかな?
10才で卒業して、その後学校行かない人は4年くらい働いて成人と・・。
10才以降は高等教育機関に進学するもよし、働くのもよし、好きなことをするのもよし。
全てはお金があれば叶えられます。
あ、でも、10才までも義務教育ではないのだから、学校へ行かずに、場合によってはすでに働いている人もいるかもしれません。
昔々の丁稚奉公は、5才くらいからあったと聞きますから。
となると、進学というのは、富裕層にのみ与えられる特権という事になりますか・・。
ますます高まる教育格差、負の連鎖・・・。
じわじわと効いてくる義務教育の崩壊
義務教育がなくなったとしても、まず今ならみなさん学校に通わせることを選択しますよね。
でも、これが数十年後、義務でなければ、一定数は学校へ行かない層が出てきます。
学校へ行かないのが普通の環境で育てば、何の疑問も持たないまま、それがまた下の世代に受け継がれます。
社会性やら商売の事は、人と接する事や働くことで教えてもらえたり、学べる可能性もあります。
でも、ここで私が一番気になるのが、一定数、読み書きができず、お金の計算ができない層が出てくるでしょうという事です。
環境のなせる業って、見くびれません。
そこしか知らない子供達って、そこから本当に抜け出せない。
勉強は大人になってからでもできますが、大人になってからでは取り返せない時間という壁があります。
スポンジのように吸収力がある脳みそのうちに字を覚えるのと、大人になってから取り掛かるのとでは、費やす年月が全く違うでしょう。
字が読めないことは、こういう事
今はネットで何でも調べられますが、字が読めないと、何が書いてあるのか分かりませんよ。
字が読めなくても生きていけるけど、字が読めないことで、簡単に騙されます。
だって、何が書いてあるのか分からないんだから。
今、息をするように読めている字が読めないなんて、想像したことありますか?
この画面に書いてある文字が、全部象形文字になったと想像してみてください。
そして、普通にしているお金の計算。
足し算引き算だって、教えてもらわなければ、普通はできません。
足し算引き算ができなければ、500円の物を1000円出して買っても、「おつりは100円ね。」と言われたって、そうか・・、と納得するしかありません・・。
字が読めないという事は・・・・
私のブログも読んでもらえないってことですよ!
そんなの困る!
終わりに
今日は、「もしも義務教育がなくなったら」という妄想を書いてみました。
本当はもっといろいろ妄想があったんですが、今日はこれくらいでという感じです。
妄想ですから。
学校教育には、弊害もあれば限界もあります。
「義務教育の敗北」とか、「学校なんて害だらけ」なんて言えばかっこよさげだけれど、今苦労もせずに字が読めるという事は、義務教育の賜物であることを、忘れないでほしいです。
それではまた~。