こんにちは。
母の認知症が始まったと思ったら、実は脳腫瘍だったという事で、この記事では母の脳腫瘍の状態や、医師に言われた事、手術までの生活の記録などを、シリアスとコメディを交えながらノンフィクションでお送りしている、第二回目です。
記録のまとめはこちら
★第1話
★第2話
★第3話
★第4話
★第5話
★第6話
★第7話
★第8話
★第9話
★第10話
★第11話
★第12話(最終回)
それは、LINEの変化から始まった。脳腫瘍術後25年での再発
前回、ひょんなことから脳腫瘍が発覚し、手術で取り除いた後、別人のように元気になった母。
あれから20年以上。
母は、小さな病気をしながらも、70歳を超え、元気な後期高齢者となっていました。
ママ(恥ずかしながら、我が家ママ呼びなのだ)もいよいよ、後期高齢者よ~!
等と言いつつも、趣味のヨガやダンスに通っていました。
(ダンスとか、元気だね本当に・・)
私は結婚し、北海道へ移り住んで25年。
両親の近所には、ほぼ同居していると言っていいくらいの所に、妹夫婦と弟(独身)が住んでいます。
私が帰省するのは年に数回ですが、子供も2人上京しているし、両親に会えるのも、もう数えるくらいしかないかもしれないと、長期の休みには、なるべく実家に帰るようにしていました。
今年(2021年)も、娘の大学受験や入学式、長期連休などで実家にお世話になっていましたが、母の様子は特段変わりなく、相変わらずお小言がうるさいくらいで、元気に過ごしている様でした。
ところが、ある日、こんなLINEを送ってきたのです。
フリック入力が苦手な年寄りとは言え、意味不明な文章というか、文字の羅列があります。
正直、怖い!
「色んなところに触っちゃったからだ。」と母が言い訳のように書いていますが、実はこの頃、この様な文章が頻繁に送られてくるようになって、「もう少し頑張ってフリック入力を練習しろ」と、私と妹から言われていたんです。
(娘というものは、母親に対して容赦ないものなのだ)
が、多分、この頃にはかなり腫瘍が脳を圧迫していたのではないかと思います・・。
因みに、文章を要約すると、「昨日、私の娘が母の所に遊びに来ると言っていたのに、まだ来なくて心配しているよ。」というものです。
なので、2枚目の最初が「今来たよ」となっているのです(私の娘がやっと到着したらしい)。
文章が途切れているのは、その前はSMSでやり取りをしていたからなんですね。
余談ですが、それまでの母は、フリック入力でもこれ位の文章は打てる人でした。
2019年のものですが、普通に漢字も使っているし、文章の誤字や脱字も少なく、急いでいなければ、長文でも普通に打ててました。
母は、その時々で、適当にLINEで連絡をしてきたり、SMSを使ったりしていましたが、LINEだと沢山お友達が出てくるので、履歴からすぐに呼び出しができるSMSを利用する事が多かったです。
で、10月末から11月。
比べてみましょう。
私が北海道にいるにも関わらず、「冷蔵庫にあるもの食べて。」って・・。
ちょっと変だなと思いながらも、70オーバーの母に完璧な入力を求めるのも酷だと思い、放置していました。
でも、その数日後、こんなSMSを送ってきたのです。
はぁ~~!?
なになになに!!!
「今オムレツ食べてる」しか、識別できないではありませんか!
超怖いんですけど~~!
これは絶対おかしいでしょう!
あまり心配になったので、最近の母の様子を聞くため、私は妹に、文章のスクリーンショットと共に、確認のラインをしました。
「スマホを変えた」で済まされる、高齢母の変化
あまりにひどい文章なので、心配して妹に相談する私。
しかし、妹から返って来たセリフは
携帯変えたからじゃない?
でした。
今にして思えば、スマホを変えたからってあんな訳の分からない文章になるはず等ありません。
でも、母の高齢が災いして、私も『そんなものかな?』と、スルーしてしまったのです。
その後、妹の所にも母は何度か不審なラインを送り、妹はそれをスクショし、私に送り、「もう、ボケ老人だね」なんていうやり取りもしていたのです。
ママごめ~ん!!
何もかも年齢のせいにされる。
高齢ってこわいわ~・・。
そんな感じだったので、私も妹も、フリック入力は厳しいみたいだから、音声入力ができるやつを母に与えようか??
なんて話も進んでいました。
ちがう!!
あれもこれも、全部脳腫瘍のせいでしょ!
と、今にしてみれば、思い当たる事だらけ。
更に、母はコロナ禍に入った頃、実は軽い抑うつ状態になった事があるのです。
コロナのせいで、毎日のように開催されていた、お友達とのお茶会もゼロになったし、習い事もすべてお休みに。
落ち込んだ母の食欲は落ち、不眠となり、家事もできなくなり、「こうやって死んでいくのね・・」とか言っていたらしいです。
(妹情報)。
当時は「コロナ鬱」なんて言葉も流行していたし、楽しみにしていた行事は次々と中止。
高齢で、セロトニンとかドーパミンの分泌も少なくなった老人の鬱は発症しやすいのだろうと、私達は勝手に判断。
その時は、ありがちで仕方のない事と片付けてましたが、もしかしたら、それも腫瘍が大きくなり始めた影響だったのかもしれません。
幸い、母の抑うつ状態は、緊急事態宣言の解除と共に、半年くらいで元の状態に戻ったのですが、それが、コロナのせいなのか、腫瘍のせいなのかは未だ分からず。
もう、全部コロナと腫瘍のせい。
憎きコロナめ!!
悪霊退散!
父の病院で、またしても関係ない医師に「脳外科で診てもらえ」と助言される
そんなこんなで、コロナ禍からおよそ1年半。
習い事も復活し、元気に母はダンスに通っていたりしていましたが、その後、11月の末ごろから急激に体調が悪化します。
10月の終わり位までは普通のLINEができていた母からの、文章になっていない気味の悪い呪文の様な文。
私はその前月(9月)の中旬に実家に帰っているのですが、母はその時元気でしたし、ダンスやヨガにも通っていました。
ヨガ用のウェアをプレゼントした位です。
なのに、12月の中旬に弟から電話が来て、私は知らされたのです。
母の病気を。
弟の説明は、こうでした。
近頃、母の筋力低下が著しくて、病院に行ったんだよね。
そしたら、脳梗塞の疑いがあるって言われて、ちょっと大きな病院で診てもらったら、脳腫瘍だった・・。
との事。
詳しく説明すると、母は、定期的に父の病院(個人クリニック)に付き添っているのですが、その時に、急激に足腰が立たなくなった母の様子を見た医師から、「一度CT撮ってもらった方がいいよ」と、助言を受けたらしいのです。
またしても、母の異変を見抜いたのは、近くにいた家族でも、母の主治医(それはいない)でもなく、たまたま居合わせた医師!
も~!
ほんと、家族ってあてにならない!!
それで、ちょっと大きな病院で診てもらって、初めは脳梗塞の疑いだったのが、本当は脳腫瘍だったというわけなのです。
その頃には、徐々に母の容態は悪化していて、麻痺状態とまではいかなくても、左側があまり動かなくなっていたそうです。
「老化が進んで足腰が弱くなった。」
なんてもんじゃなかったよ!
脳腫瘍だよ!
誰だ!老化なんて言っていたのは!!
(それは、私達です。スマン、母よ)
手術は2か月待ち!介護が大変だから、帰って来て手伝えと、妹からチクリと言われる
そんな訳で、母の状態や病名が知らされたのは、12月の中旬。
定期的に診察には行っているらしい。
妹や弟とは、電話やLINEでのやり取りをしていましたが、具体的な状況は、やっぱり見ていないと分かりません。
というか、事実だけ伝えられても、ピンとこないんだよ、こっちは。
仕事を休んで様子を見に行くと言っても、時は年末年始。
こんな時期に帰るとなると、色々な所に顔を出さなきゃいけなくなるので、数日潰れてしまう事が予想されます。
(私と夫は同県出身なのです。あとは察して欲しい)
色々と面倒事があるので、出来れば何の変哲もない時期に帰り、実家に詰めていたい。
当時の予定では、緊急性はさほど高くないので、オペの予約は2月の下旬という事でした。
なんかね~、先生の予定が一杯なんだって。
そういえば、25年前の時も、手術は1カ月待ちだった気がする・・。
なので、私はそれほど悪くないのだと踏んで、手術の時にでも帰ろうかなと思って、その旨を妹にラインしたところ・・・。
こっちは色々大変なんだよ!
ママは要介護(介護認定はまだ受けていない状態。要するに、色々な事に介助が必要なようだ)だし、パパは戦力外!
手術の時だけ帰ってこないで、少しは手伝え!!
て・・・。
それまで、「大変だ!」とか、「介助が必要だ」なんて、一言も言って来なかったくせに、いきなりのひどい物言い。
ひどすぎる・・・。
そう、妹とは、こういう奴なのです。
てなわけで、私は正月明けに、一週間ほど休みを貰い、実家に様子を見に行くことにしたのでした。
…続く。
それではまた。
次回!
実家に戻った私が見たのは???!
『家族は疲弊していた!介護の実態と家族の本音』みたいな内容でお送りしたいと思います。
これまでのまとめはこちら。
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★第12話(最終回)