【実録・母の脳腫瘍12】術後の様子と入院費用アレコレ

【実録・母の脳腫瘍12】術後の様子と入院費用アレコレ

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75歳を過ぎて脳腫瘍を患った我が母。

初めは認知症の始まりかと思われましたが、実は脳に大きな腫瘍があり、それが脳を圧迫し、認知症のような症状及び、半身の麻痺を起こしていました。

直ちに命の危険はないとの事で、入院、手術はまだ先と思われていましたが、症状の悪化により、急遽入院、手術が決まり、実家では色々とありましたが、手術は無事終了しおよそ4カ月が経過しています。

このブログは、母の脳腫瘍についての記録であり、今回でひとまず終了となります。

これまでの記録をご覧くださる方は、こちら⤵のリンクを開いてお進みください。

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★第12話(最終回)

という事で、今回は、今までの総まとめ。

母の手術の経過は、一体どうだったのか、Q&Aで進めてみたいと思います。

【実録・母の脳腫瘍】手術の経過や、介護認定はどうなったのか??

母の手術から3カ月経過。母は今、どうしているのか?

母は、未だに入院中です。

手術後は、およそ1週間程度で退院し、その後転院するか、デイサービスを利用するかなどの説明を医師から受けましたが、結局、手術をした病院には、2ヵ月近く入院していました。

多分、予後があまり良くなかったのかもしれません。

そして現在、リハビリ専門の病院へ転院し、未だ入院中です。

手術をした病院でもリハビリはあったようですが、専門の病院ではないので、転院したのだと思います。

母のLINEによると、リハビリ専門病院では、1日3時間もリハビリがあるらしい・・。

なんてスパルタな病院なんだ・・。

とはいえ、スパルタのお陰で、全く歩けなかった母は、なんと今は杖なしで歩けるようになったらしい。

たまに来るメールの文章も、まともになってたので、一安心・・。

術後すぐの様子は、この後です。

このブログでは何度か掲載していますが、母の調子が悪くなり始めた時の、恐ろしいメールをご覧ください。

脳腫瘍の母のLINEのスクリーンショット写真

全く日本語になっていない、この恐ろしいメール。

手術した病院から転院する時は、こんな感じでした。

超読み辛いけど、ひとまず日本語にはなっています。

左手足も動くようになって、一見何も心配ないように見えますが、左手足が動くという感覚は、全く動かなくなった頃に比べてのもの。

この後、母は転院し、更に2か月のリハビリを要します。

実は、メールの内容も調子が悪い時と良い時があり、それも、文章に如実に表れます。

日本語にはなっているけれど、てにをはが上手く使えていなかったり、文章にほとんど漢字が入っていない時もあります。

因みに、上の文章は、「私に言われた通り、近くのリハビリ病院に入った」と書いてありますが、母は術後、妄想混じりの電話をかけてきて、散々看護師さんと父の悪口を言った後、「転院なんてしない。自分の面倒はK一(弟の名)が見てくれる。」とか言い出したので、さすがの私も電話口できつく叱ってしまいました。

あんた何言ってんの!?
K一に仕事辞めさせるつもり??!

トイレも一人で行けなくて動けないのに、日中一人で置いとけるわけないでしょ!

パパもあてにならないのに、どうするの!

などと、言ったとか言わなかったとか・・。

転院の事は、私だけではなく、医師や他の家族の勧めもあっただろうに、何故か私が言ったからみたいになっている・・。

そして、最近のメール。

母の入院中のメールの写真

上の写真は、つい最近のもの。

大分よくなったようで、「遠い所から2回も来たのに何もしてあげられなくてごめんね。」とは泣かせますが、句読点は無いし、変な所で改行されているし、娘の成人式は来年だし、私は2回も実家に帰っていません・・・。

母よ、しっかりしろ!

手術直後の母の様子。意識の混濁や錯乱はあったのか?

母の術後の様子は、ひどいものでした。家族全員、『もう、こりゃダメだ。』と思ってました。

実は、私は母の術後、すぐに北海道へ帰ってしまったので、実際の様子は見ていないのですが、母はたまに私に間違い電話をかけてきて(大抵は、私の弟や、孫にかけようとして、間違い電話をかけてくる)、話をしたことがあります。

入院前は、認知の低下等から、夜中1時間に1回の頻度で弟に電話をかけていた母も、入院中は制限があったため、弟の話によると、電話の回数は減っていたようです。

・・が、大体私にかかってくる時は、開口一番「K一?」か、「◯◯(孫の名前)?」です。

で、私が「間違えてるよ。」というと、「間違えてない、うみにわざわざ電話したのよ。」と言い張り、よく分からない近況報告を繰り広げます。

で、術後間もなくの頃は、意識が混濁していて、一人で病院に来て、一人で入院手続きして、一人で手術してもらっただの、父はかっこつけて病院に来ないだの、入院している病院には、父も弟も一緒に入院しているだの、事実無根の妄想を平気で話し、しまいには、自分はもう、一人で何でもできるのに、常に看護師さんがつかなければいけないので何もできないとか言い放つ。

・・・こっわ・・。

まじでこっわ・・。

勿論、母は左半身がマヒして動けないんだから、一人で病院に来られるわけがない。

病院には毎回、父と妹、もしくは弟か私がついて、妹の車で行っていたのだ!

まぁ、父との事はいいんだけど(いいのか?)、手術が終了したからって、今まで寝たきりだった母の筋力や神経が急に戻って、急に一人で何でもできるようになるわけがない。

事実、手術直後のリハビリの様子を見ていた弟の電話の内容では、「今後はもう、介助や介護なしでは、母は何もできないだろう。」というものであった。

そんな話を聞いているのに、母は一人で何でもできるとか言ってるもんだから、「こりゃもう、母はダメだ・・。」と、当時さすがの私も思って覚悟したね・・。

☞母からかかってきた電話の内容については、さらっとこちらで書いています。

術後は、高確率で意識の混濁や錯乱が起きるとは聞いていたけど、その度合いや経過については、実際の様子を何度も経験してきた医師と、家族の感覚は全く違う。

しかも、20年前に母が行った脳腫瘍の手術後は、リハビリも要らなかったし、手術翌日の母はほとんど普通の人になっていた。

年齢や腫瘍の大きさ、症例などが違うのだとは、頭では分かるけど、感性では全く理解できないし、徐々に良くなるイメージも全くできない。

だって、いくつも症例を見たわけじゃないし、実際に見たのは母の事だけなんだから。

この辺は、以前の記事でも書いているので、初めて読む人は是非、これまでの経緯をご覧ください。

☞入院時の医師の説明等。意識の混濁については、こちらの記事で詳しく書いています

手術したにも関わらず、ほぼ動けなかった母は、どのような経緯を経て自立できるようになったのか?母のLINEより、段階を追う

家族の話と本人の話によると、なんと母は、一人で歩けるようになったらしい!

家族全員に、『こりゃもうダメだろう‥。』と思わせた母の容態ですが、現在は危なげながらも一人で歩けるようになり、やっと退院が決まりました。

段階を追うと、以下のような感じです。

退院直後の母のLINE写真

2月。

手術は1月の後半で、暫くは妄想や錯乱があり、「入院手続きは一人でやった」と宣っていた母ですが、その後、山を越え、父から聞いたのか、こんなLINEが来ました。

「入院手続きは、うみがやってくれたの。ママは何も覚えてない。」

という内容でしょう。

しかし、文章は全てひらがなだし、日本語もちょっと怪しいですね。

手術した病院から、転院する時のLINE。先ほども載せましたね。

2月下旬、術後およそ1ヵ月とちょっと。

リハビリ病院に転院し、1日3時間のリハビリの結果、車椅子ではなく、杖を使って歩けるように。

でも、ベッドから降りる時や立つときは、本人も危険を感じている様子。

何をするにも見守りが必ずつく状態で、ベッドから降りる時は、必ず看護師さんを呼ばなければいけない様です。

最後の、「バランスを取るリハビリ」がどんなものか分かりませんが、健康な人でも難しいと思うとか、ちょっとドヤッている所に、回復の兆しが見えます。

3月上旬。

段階があるから、全てのリハビリをクリアーしないと退院できないと母。

いや、もしかして、後半のリハビリの内容に「階段」の訓練があるという事か??

・・、合っているのか間違っているのかわからん。

この時は、まだ杖をついて歩いている状態。

歩行訓練の後半は、療法士さんとの外出があるようですね。

外気を吸う事で、少しはリフレッシュできるといいですね。

自由度が増して、病院の居心地もよくなったと書いてあります。

その後は母の愚痴が続きますので、LINEの表示はカットしますね~。

またドヤッている文章来た。

3月上旬、まだ杖をついている母。

先程のLINEの数日後に、「見守りが取れた」と連絡が来ました。

一人でベッドから降りて行動してもよくなったようです。

まだまだ万全という訳ではないですが、リハビリでここまで回復するとは、術後誰も思っていなかったでしょう。

『別に疲れなかったよ』などと自慢気な感じがうかがえますね。

ただ、『元気になって、手足も自由になったけど、以前とは違う感じがする。』というLINEも来ているので、100%回復したわけではないんだろうな・・。

3月中旬。

この頃の母は暇なのか、割とちょくちょくLINEしてきます。

お風呂の訓練をしているようですね。

しかし、実家は古い日本家屋で、お風呂場はタイルだし、湯船がとても深いので、退院後の入浴は、我が家ではちょっと難しいかもしれないなぁ・・・。

脳腫瘍を患った母からのLINE

3月後半、つい最近のLINEです。

遂に杖なしで歩く許可が出て、自立となったようです。

私が実家へ帰るゴールデンウィークあたりには、退院できると書いてあります。

マジか。

ただ、『メールの調子が悪い』という、気になる一言。

こんな時、調子が悪いのは、スマホやメール機能ではなく、母本人です。

先ほども、母の調子が良い時と悪い時があると書きましたが、このLINEの様子や、漢字の数、文体などから、いつもより調子が悪い事が伺えます。

腫瘍が脳を圧迫し始めた時も、LINEの文章がおかしくなり、『メールの調子が悪い』と言っていたのを覚えています。

ちょっと心配・・・。

所で、最後「ベッドを買い替えた方がいい」と私が書いていますが、父が使っていたキングサイズのベッド、なんと、まだ我が家にあるらしい・・。

しかも、父はもう、ベッドで寝ていないんだとさ・・。
(多分、寝たきりの母がずっと使用していたので、何となくそこで寝る気にはならないのだろう)

あほか。

そんな使わないもん捨てちまえ!

で、弟に、介護ベッドとかにした方がいいと進言した所、『本人の気持ちを優先してるだけだ』とか言ってきた。

本人がよくなったと思っているのに、病人扱いしたら可哀想でしょ。

・・・て、話になんねぇ!

「ベッドはいらない」と母が言ったのかは謎ですが、母は、内心あのベッドをずっと邪魔がってたんだよ。

しかも、本人がよくなったと思っても、実際問題母は病人だ。

弟はそれで母の気持ちを優先し、いい事をしたと思っているらしいが、もう、母は前の身体じゃないんだし、キングサイズのベッドは家事の導線を妨げる。

しかも、ガードもついていないベッドから母が転落でもしたらどーすんだ!
今度こそ寝たきりになるか、最悪の事態だってあり得る・・。

と、妹にLINEしたけど、今はどうなってるのか分かりません。

別に、介護ベッドのいいやつじゃなくてもいいんだから、それなりの準備をして欲しいよ(溜息)。

見通しが甘いというか、ズレてんだよね・・、お気持ちの優先とか・・。

という訳で、このLINEの文章は最後にベッドの話になってます。

続きはカットしました。

1月に受けた介護認定。父と母はどうだったのか?

母の介護認定は要介護5、父は、要介護2でした。

介護認定員の訪問時、ほぼ寝たきりだった母の介護認定は、大方の予想通り、「要介護5」でした。

期限は1年です。
(父は多分半年)

新規の介護認定の場合、期限の多くは6カ月と聞いていましたが、昨今の件数増加、認定員の人員不足などにより、本人の状態を鑑みて、1年となる事もあるようです。

実家は人口密度の高い地域なので、1年になったんでしょうかね。
(更新の場合で、介護度が同じなら、最大48ヵ月です)

ここで、ちょっと驚いたのが、父の「要介護2」でした。

脳梗塞の病歴や、脳梗塞後に一度、認定「1」を取っていた事が功を奏しているのかもしれませんが、まさか2がつくとは思わずちょっと驚いた。

弟は、『あれで2が取れるんだったら、民間の介護保険も入っておいた方がよかったな。』とか言ってましたが、ちょっと!2が取れたのは私の説明の賜物だから!

チッ。

という事で、介護認定員が来た時の様子は、こちら⤵の記事をご参照ください。

介護認定調査員との初面談!一体何を聞かれるのか?!【実録・母の脳腫瘍6】

今後、母の状態を見て、デイサービスの利用等を考えていますが、デイサービスには既にお友達も通っているし、大浴場付きのところもあって、今の所、母はさほど通う事に抵抗はないみたいです。

(自宅のお風呂は、湯船が壁のように高くなっていて、またいで入るのが普通ですが、旅館やホテルの大浴場ってフラットな所から下がっていくので、高齢者には入りやすいですよね。)

聞いてみないと分からないけど、家でじっとしているよりは、ディでお話ししたり、お誕生会を開いて貰ったり、手芸をしたりする方が、母には向いている気がします。

ひとまず今は、トイレに手すりをつけたり、玄関前の飛び石をどかして(母が、「躓くので怖い」と言っていた。)バリアフリーな感じにする工事の費用に、保険を使おうかという事になっているらしいです。

余談ですが、介護リフォームの場合、使える金額には上限額(20万円)があり、自己負担は1~3割です。
(所得による。全て無料ではありませんので、ご注意ください。)

リフォームが20万円以上となった場合は、費用から20万円を引いた額プラス自己負担分が自腹となりますから、結構持ち出しがある感じですね、ありがたいけど。

しかも、補助金は償還方式で、後から戻るタイプ。

費用は前払いだから、ちょっと痛いな・・。

結局、入院費用はいくらだったのか??

1月と2月の入院分、各月およそ8万円でした。

日本の医療保険制度には、限度額というものがあります。

所得によって違いますが、保険内の診療なら、いくら治療してもひと月の上限額が決まっているのです。

有難いですね。

細かい説明は省きますが、「限度額適用認定書」を健康保険組合より取り寄せて、後で提出すれば差額が戻ってきますし、入院費用が高額となる事が予想される場合は、事前にそれ健康保険組合に申請し、医療機関に提出しておけば、診療費の退院時の支払いは、上限額のみとなります。
(食事と保険外適用分は含まれません)

後期高齢者の場合は、専用の保険証が発行されるので、多くの場合は、限度額証明の提出は必要なくなります。

で、母の場合こんな感じです。

入院費・治療・手術の自己負担額    57,600円
保険外請求額(紙オムツ等)     1,323円
食事負担額(高額療養費には入りません)    23,920円
合計    82,843円

毎月の負担上限額が、57,600円(手術、治療、投薬、リハビリ等含む)。

2月の保険外請求が、1,323円(紙オムツ等の消耗品をお願いしていた)。

食事負担額が23,920円(これは、高額療養費には入りません)。

という事で、82,843円です。

1月の場合も、ほぼ同じ金額でした(誤差1,000円以内)

上限額が決まっているのでこんな感じですが、気になるのは額面ですよね。

果たして、母の手術費用はいくらだったのか???

ドゥルドゥルドゥル・・
ばばーん。

212,114円!

手術費用は、およそ21万円。

他に、麻酔で4万円程度なんですが、癌の手術なら額面100万を超えると聞いた事があるので、20万と聞くと、高額だけど意外な感じですね。

因みに、診療合計額は、1月で額面38万程度、保険外と食事が入り、総額で41万位でした。

2月は、手術が無かったため、リハビリで15,000円程度かかりましたが、診療合計8万プラス、食事と保険外で11万位でした。

後期高齢者は1割負担だから、手術が無いと、上限額も自己負担額もそんなに変わらなくなりますね・・。

ところで!
20年前の入院時、母は民間の医療保険にも入っていたため

母

明日から、入院すればするほどお金が入って来るから、退院いつにしよう・・?

と金勘定に余念がなかったんですが、後期高齢者となり、民間医療保険にはもう入ってなかったと思われます(聞いてないから分からない)。

上記の数字は、「医療費請求書(兼)領収書」より拾ってますが、入院費用はざっくりとこのような感じです。

弟情報によると、明細は30枚を超えるとの事。

ひえ~・・、何が書いてあるんでしょう?

日毎の内訳とか、診察科目毎の内訳とかかしら??

ブログの事は弟や妹には内緒なので、あまり詳しく聞くと訝しがるので、明細30枚に何が書いてあるのかは、詳しく聞けませんでした。

が、金額は合っています。

「実録・母の脳腫瘍」まとめ

そんな事で、母の脳腫瘍の記録はひとまず終了となります。

しかし、めでたしではなく、この後母は退院し、新たな生活が始まります。

腫瘍も全摘できなかったし、LINEの様子では、体調の良・不良がハッキリと現れ、波もある様子。

なのに、母はまだ、父の面倒を見るつもりなのだろうか。

もう、高齢なのである程度は覚悟を決めねばいけません。

この後の様子は、ゴールデンウイーク以降、書けたら書きたいのですが、もう、生活となっているはずなので、ネタはないかもしれませんね。

「すっかり良くなった母は、元気に暮らしている」というようなオチや〆もありませんが、実際はそういうものなのかもしれません。

未だ体制も万全ではないし、決めなければいけない事も残っているのに、今後の事は「母が退院して、様子を見ながら決めていく」という事のようです。

こうやって色々先延ばしにするの、弟の悪い癖なんだよな、せめてベッドだけでも母が入院している身軽な間にどうにかしておいて欲しかった。

やたらベッドに拘ってますが、私はあのベッドから、陰の気を感じるんですよ。

と、ちょっとスピリチュアルな事を書きましたが、続きがあればまた、書くかもしれません。

長らくお付き合いくださった皆様や、アドバイスをくださった皆様、ありがとうございました。

それではまた。

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