急遽決まる、母の手術と、心底ほっとする家族【実録・母の脳腫瘍4】

急遽決まる、母の手術と、心底ほっとする家族【実録・母の脳腫瘍4】

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母の認知症だと思ったら、実は脳腫瘍だった第4回。

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第1話

第2話

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★第4話

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★第7話

★第8話

第9話

第10話

第11話

★第12話(最終回)

先日、入院中の母から電話がありました

ところで、話は前後しますが、先日入院中の母から電話がありました。

入院前は、誰かれ構わず電話をし、溺愛している私の弟には、夜中1時間に1回くらいは電話を入れるという、もうほとんど正気の沙汰とは思えないというか、実際正気でもなかった母の所業ですが、弟情報によると、電話の回数は減少した模様で、夜中の電話は無くなったらしい・・。

看護師さんにも止められるし、夜中は電話できないので(没収されているのか?)、管理体制のなせる業かもしれませんね。

で、そんな母の電話。

術後数日のうちに、弟にかかってきた、母からの電話の内容がこれ・・。

私の弟も一緒に入院していて、隣のベッドには父(母の夫)が寝ていると言ったらしい。

・・、怖い・・・。

母の頭の中は現在、妄想街道爆進中。

どういう状況になっているのか分かりませんが、皆で入院て怖すぎるでしょ。

脳を手術した後は、意識が錯乱したり、認知が低下すると聞いたことがありますが、もうほんと、マジで怖い、母の妄想。

で、私に電話がかかって来た時は、幾分まともになって回復したのか、思ったより口が回り、早口で父の悪口をまくしたててました。

母は昔から、父の悪口を言う時は、悪い方へ凄くハッスルするのです。

・・、困った人だよ。

で、病院での治療の様子などを的確に(?)語り始めたので、大分元気になったのかと思いきや、入院先の病院へは、一人で来て、手続きしたとか言い出した。

ちょっとちょっと!!

あんた、左半身動かないのに、一体どうやって来たのよ。

入院時は、妹の車で、私も父も付き添ったでしょ!

しかも、車椅子押して、各科回ったの私じゃんよ!

この恩知らずめ!

母

ママ、ここの先生に命預けて、手術の時は一人で来たのよ!(ドヤッ)

とか言ってて、お世話をしたこちらは「はぁ????」ですよ。

私は思わず

ええ~?

どうやって病院まで行ったのぉ?

電車?歩いて??(意地悪)

と聞いた所、母は即座にこう答えた。

母

タクシーよ!

往復5,000円!

パパは、後から車で来たのね・・。

・・、て

何言ってんのよ!!!

金額までそれっぽい数字を出してくる所など、本当にたちが悪いですね。

以前行った脳腫瘍の手術後も、似たような感じで、予後に、『手術前後の記憶は全くない』という事がありましたが、今回は強烈な妄想つき。

因みに、入院前後の記憶は、かなりあやふやで、断片的にちょっと覚えている位らしいです。

これが、一過性のものなのか、それとも、腫瘍が圧迫して傷んだ脳神経があり、もう回復しないものなのか。

まだまだ経過観察の状態ですが、なんとなく、これから抱えていく問題を、母は示唆している様でした。

さすがに50代で患った脳腫瘍と、70代後半で患った脳腫瘍では、体力も機能も、回復の度合いが違います。

そもそも、腫瘍の場所や種類も違うのかもしれないし、50代で患った時は、不安がありながらも、母の身体は動いていたもんなぁ・・・。

そんな訳で、第4回目。

急激な容態の悪化で、母の入院が、急遽決まります。

定期健診で母、急遽入院が決まる

という事で、様子を見に北海道から実家に戻ったものの、想像以上に母の調子は悪く、トイレの自立もできておらず、家族はみな疲弊してました。

特に、お世話をしているのに、当たり前と思われているのか何なのか、労ってもらえない妹の不満とストレスは莫大で、愚痴が止まらず。

そうだよね~、今まで何もしてなかった人が、ちょっと何かをするだけで「一番頑張ってる」とか言われたら、面白くないに決まってます。

まぁ、これは、家の事全くしなかった父親が、洗い物をしたくらいで称賛されている様子なのですが、放蕩息子のホンダラさんのような弟が、ちょっと母の世話をするだけで、母は涙が出るほど喜んで、頼りにしている。

そんな様子は、滑稽でしかありません。

この辺を、介護を既に終了している友人に話したところ、大まかな部分で一致しており、日頃お世話をしている娘より、たまに帰って来てお世話をする兄の方を有難がっていて、大変面白くなかったという事。

大体そんなものなのかもしれないけれど、母の潜在的な優先順位を見たようで気分最悪。

ほんと腹立つ。

私もこんな母親にならないように、気を付けようっと。

こんな話を夫にLINEしたところ、共感も慰めの言葉もなく

「ママは大変で不安なんでしょ?許してあげて。」

ときたもんだ。

ばかかっ?!

こんな時、そんな優等生然とした、いい子ちゃん発言とかすんなバカ!!

だから、お前はいつもデリカシーがないって言われんじゃわ!

こちとら、正論なんて聞きたくないんじゃバーロー!

って感じで、コナン君のような言葉と共に、文字にできない暴言を吐いたが、一応翌日謝っておいた。

が、しかし、私は悪くない。

もしも、このブログを読んだ後、同じ様な事があったなら、今のくだりを是非あなた様に思い出して欲しい所存・・。

で、実家に戻った3日後。

手術は一カ月以上先の予約待ちであったが、定期の診察で、母は病院に連れていかれた。

この日は弟も参上するとの事で、用なしとなった私は実家で留守を守る事に・・。

所が、帰って来た家族から聞いた言葉は、母の入院が急遽決まったという話。

診察に来た母の容体が、医師が想像していたよりも悪くて、急遽手術を入れてくれたそうだ。

大変有難いんだけど、先生の予定一杯だったんじゃないの??

こういう時のために、予備日が取ってあるのかもしれないけど、多分、先生はお休み返上だよね、本当にありがたい。

とにかく、正直な所、こんな状態の母が家からいなくなることに、母には悪いが、家族一同ほっとした。

いつになるか分からない、闇の中にいるような不安から解放され、家族は何も言わないが、誰もが心底ほっとした。

母の入院中は、介護からは解放されるが、次の手立てを打たねばなるまい。

今後、介護ベッドを入れるための古いベッド類の処分に加え、数十年、見て見ぬふりをした、古代の遺跡を断捨離する時が来たようだが、この話は次回。

何かを察知して、叔父が訪問しにきた

母の手術が急遽決まった頃、母の実家である、とある海なし県の叔父から、私に電話が来た。

この叔父は、母のちょっと年の離れた弟なのだが、事あるごとに、私を気にしてくれていて、実家に帰って来ている事を弟から聞いたのか、私に電話をくれたのだ。

電話の内容は、ご機嫌伺いも含めた母の様子の確認などであったが、私が実家にいるうちに、皆に会いたいから、明日、海なし県から私の実家に訪問するよというものであった。

母の入院が、早くても2月の下旬という事は知らされていたらしいが、私に会いたいとか、叔父はホントに可愛げのあるおじさんだ。

というのは置いておいて、私もちょっとビックリしたのだけれど、叔父は、こうも言ったのだ。

「もしかして、急に入院や手術が決まったりしたら、コロナでお見舞いにもいけないし、母にも会えなくなってしまうから、私と母、両方に会える明日、海なし県から会いに行くよ。」と。

この電話が来た時、正に母の緊急入院が決まった日であり、手術の日取りが決まった日だった。

数日遅かったら、文字通り、叔父はいつ母に会えるのか、分からない状況になるところだった。

虫の知らせだろうか。

母は、今、まだそこそこ元気に入院中で、リハビリなどもしているから、そういう、なんていうか死を匂わせる虫の知らせとは違う、奇跡や偶然と言った姿をした虫の知らせなのかと、私はその時、ちょっとだけ戦慄した。

実は、母には姉もいて(私の伯母)、仲良しなんだけど、高齢でコロナの事もあるから行けないと、何度もお詫びの電話が来ていた。

母は、「姉さん、すぐに泣くからやだわ・・。」と言っていたが、世間話をしていると、電話口で伯母はやっぱり、「行けなくてごめんねぇ・・。」と、漫画のようによよよと泣いていた。

叔父にその話をすると、「◯子(叔父は姉たちの事は呼び捨て。男尊女卑か?)は、すぐ泣くからなぁ。」と笑っていた。

長女である伯母は、そんな風に笑われているとは、想像すらしてないだろう。

◯子おばさんごめんね。

叔父が来て、何だか華やいだ表情の母

そんなこんなで、早朝、片付けや洗い物をしていたら、叔父がやってきた。

母の意識は、既にここにあらずのはずなのに、母はとても嬉しそう。

父と叔父が話している時や、私や妹が叔父と話している中に、ちょっとだけ入って来ては、笑っていた。

心を許している弟の突然の訪問に、とても心が華やいでいる様で、食も進んでいたし、調子に乗って何口か焼酎も口にしていた。

家では愚痴ばっかり言っていた母だが、家族の疲れた様子や暗い空気を、肌で感じて滅入っていたのかもしれない。

私は今まで、『こんな大変な時に来客なんて冗談じゃないでしょ?!』という概念でいたのだが、母の喜ぶ顔や、空気が変わって口がなめらかになる父、まぁ、叔父は皆に好かれてるんだけど、話し相手ができて妹も何だかリフレッシュしている様子を見て、今後は、母の為にも、母の来客は快く受け入れようと心に決めた。

介護は凄く大変だから、そんな時にお邪魔するのは迷惑と思いがちで、実際迷惑がられることも多いと思うのだけど、この先、どれだけあるか分からない母の人生を、閉塞的な空間だけで過ごさせるのは、間違っているのかもしれない。

母が会いたい人には、出来るだけ会わせてあげたいと、その時改めて思ったのだ。

けどさ~、掃除って面倒よね・・。

で、叔父を駅まで送る道のりで、母の、私の弟に対する溺愛ぶりと全幅の信頼を、超気持ち悪いと猛烈に批判した所、叔父だけは

あいつ、昔っからそうだよなぁ・・。

K一(弟の名)、K一って。

なんでだろうなぁ??

と言った。

そう、叔父の答えはパーフェクト。

この共感を待っていたのよ!!

という訳で、叔父の回答に心静まり、満足した私と妹は、海なし県へ帰る叔父の道中の無事を心から祈り、優しく「気を付けてね。また来てね。」と見送る事ができたのだった。

しかし、この事も、母は全く忘れていた。

というか、覚えてすらいなかったからびっくりぽん。

続く。

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